日本のバルザックとまで言われる作家です。
わたくし『不毛地帯』を読んで以来、山崎豊子さんの大ファンです。
「追悼山崎豊子展」が、10月5日まで東京の「日本橋高島屋」で開催されています。
社会派の小説を数多く手がけた作家で、おととし亡くなった山崎豊子さんの初公開の戦時中の日記などを紹介する展示会が東京で開かれています。
「大地の子」や「白い巨塔」など、数多くの社会派の長編小説を残した作家の山崎豊子さんが亡くなってから今月29日で2年になります。3回忌を前に東京・日本橋のデパートで開かれている展示会には、山崎さんの直筆の原稿や日記など、ゆかりの品々が展示されています。
社会問題をテーマに長編の作品を書き、多くの作品が映画やドラマとして放送されるといった稀有な才能の持ち主です。
徹底的に取材を行い、綿密に資料を集め、フィクションに実話を挿入したリアリズムが特徴で、非常にスケールの大きな世界が広がっているところが魅力。とはいえ、大胆な脚色も加わることで物議を醸したり、盗用問題で訴訟になることもありました。
作家デビューまでの略歴
大阪、船場生まれ。京都女子専門学校(現・京都女子大)を卒業後、1945年に毎日新聞大阪本社学芸部に勤めました。当時同社に在籍していた作家・井上靖の元で記者としての指導を受ける。
在社中から小説を書き、1957年、生家の昆布屋をモデルにした作品「暖簾(のれん)」で作家デビューを果たす。翌58年、吉本興業の女性創業者をモデルにした「花のれん」で第39回直木賞を受賞。毎日新聞社を退社し、作家業に専念し始めました。
盗用疑惑
山崎豊子氏のような社会派小説家は、ノンフィクションを小説に落とし込んで描きます。実際の事件をインスパイアして小説を書くわけですから、盗用との線引が難しい気がします・・
訴訟問題もありました。
1968年「花宴」が、レマルクの「凱旋門」や芹沢光治良の「巴里夫人」、中河与一「天の夕顔」に酷似していると問題になった。これがきっかけとなり、日本文藝家協会から退会。翌69年に同協会に再入会。
「不毛地帯」では、朝日新聞社が新聞記事からの盗用があることを指摘した記事を掲載。山崎氏が朝日新聞社を名誉棄損で訴えたが、78年に和解。
「大地の子」でも大学教授だった遠藤誉から自著に酷似していると訴えられたが、山崎氏が勝訴しました。
山崎豊子の『盗用』事件―『不毛地帯』と『シベリヤの歌』 (1979年)
山崎豊子氏の代表作
『暖簾(のれん)』
1957年、生家の昆布屋をモデルにしたデビュー作品。
『花のれん』
1958年、吉本興業を創業した吉本せいをモデルにした作品で、第39回直木三十五賞受賞。ここから山崎豊子氏の作家人生が始まります。
『ぼんち』
1959年、地元船場商家の厳しい家族制度、特殊な風習を情熱をこめて描く長編。
1960年に大映にて映画化、1962年と1972年にはテレビドラマ化。1966年には『横堀川』(『暖簾』「花のれん』と合同)としてテレビドラマ化しました。
『しぶちん』
1959年に発刊された短編小説。
「しぶちん」とは大阪弁でケチン坊という意味です。
『白い巨塔』
1965年-1969年に発刊された、大阪大学医学部がモデルの長編小説。
医学業界の腐敗を追求した社会派小説です。1966年に映画化されて以来、何度もテレビドラマで映像化されました。
半年間という短い時間で医学の世界を猛勉強し、100人を超える関係者を取材して登場人物を作り上げていったそうです。
山崎豊子氏ご本人のコメントの中で、「本当に作家になれた」のは、『白い巨塔』を書き上げた時だとお話されていました。
『華麗なる一族』
1973年、神戸銀行(現在の三井住友銀行)をモデルとした経済小説。
銀行を舞台にしたドロドロとした足の引っ張り合いが、池井戸潤氏の半沢直樹シリーズと被ってしまいますのはわたくしだけでしょうか。
『不毛地帯』
1973年から1978年まで『サンデー毎日』で連載。累計3600万部を誇る大ベストセラーになりました。
シベリア抑留からした主人公壱岐正が、商社マンとして活躍する話です。
山崎氏ご本人は否定していますが、瀬島龍三がモデルとも言われています。軍人→シベリア抑留→伊藤忠商事、同じような経歴ですものね。
1976年に前半部分が映画化され、1979年に完全版として連続テレビドラマ化、2009年にはフジテレビ系列で開局50周年記念ドラマとして連続テレビドラマ化されました。
『二つの祖国』
1980年から1983年まで『週刊新潮』で連載。
太平洋戦争で日米の2つの祖国との間でもがき苦しみながら、アイデンティティーを探した在米日系人の悲劇を描いた作品です。
『大地の子』
1987年5月号から1991年4月号まで『文藝春秋』で連載。
中国残留孤児である、陸一心(りくいっしん)の波乱万丈の半生をテーマに描いた物語です。
クローズアップ現代 小説に命を刻んで~山崎豊子 最期の日々~
山崎の肉声テープで「中国大陸のそこここで、自分が日本人であることも分からず、小学校にも行かせてもらえず牛馬の如く酷使されているのが本当の戦争孤児ですよと…、私はこれまでの色々な取材をしましたが、泣きながら取材したのは初めてです。敗戦で置き去りにされた子どもたちが、その幼い背に大人たちの罪業を一身に背負わされて『小日本鬼子(シャオリーベンクイツ)』、日本帝国主義の民といじめられ耐えてきた事実、日本の現在の繁栄は戦争孤児の上に成り立っているものである事を知ってほしい。大地の子だけは私は命を懸けて書いてまいりました」とのコメントが紹介された。
『沈まぬ太陽』
1995年から1999年に『週刊新潮』で連載。3部構成の長編小説。
200万部を超えるベストセラーとなり、映画化もされました。
日本航空と、同社の労働組合役員である小倉寛太郎、日本航空123便墜落事故などがモデルをモデルとして再構築されたフィクション社会派作品です。雑誌連載中、日本航空は不快感を示し、機内において『週刊新潮』の取り扱いを中止しました。
『運命の人』
2005年から2009年まで『文藝春秋』で連載。
山崎氏が80歳を過ぎて、外務省の機密漏えい問題に関わった新聞記者を題材に描いた全4巻。この後執筆した『約束の海』が絶筆作品となったため、最後の完成された作品です。
沖縄返還時の日米密約を舞台に、国家権力とジャーナリズムの戦いを描きました。元毎日新聞記者の西山太吉氏、外務省アメリカ局長の吉野文六氏、など実在する人物がモデルとなっています。
『約束の海』
2013年から2014年まで、『週刊新潮』で連載。
遺作です。全3部を予定していましたが、第1部の途中で山崎氏が他界されたので、未完の絶筆となりました。
旧海軍士官の父と海上自衛隊員の息子を主人公に、戦争と平和を取り上げる小説です。
遺作となった『約束の海』
『約束の海』の連載を開始していましたが、第1部(20話)を書き上げた直後に、2013年9月29日、88歳で呼吸不全により他界されました。
常に、前作を超えるものを自分に課していたという山崎豊子氏。ご冥福をお祈りします。
追悼 山崎豊子展
4都市で開催されます。
東京会場
- 2015年9月25日(金)~10月5日(月)
- 会場:日本橋高島屋8階 ホール
- 時間:10:00~20:00(最終日は18:00まで、入場は閉場の30分前まで)
- 料金:一般800円 大学生・高校生600円 ※中学生以下無料
横浜会場
- 2015年10月14日(水)~11月1日(日)
- 会場:横浜高島屋8階 ギャラリー
京都会場
- 2016年1月6日(水)~1月18日(月)
- 会場:京都高島屋7階 グランドホール
大阪会場
- 2016年1月20日(水)~2月1日(月)
- 会場:大阪高島屋7階 グランドホール
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