諏訪大社の御柱祭!古代史に迫る

御柱祭(おんばしらさい)は長野県にある諏訪大社で、7年目ごとの寅と申の年に行われる神秘の祭りです。正式には「式年造営御柱大祭」と言います。本年の2016年が開催年で4月〜6月に行われました。次回は2022年。

諏訪大社は、諏訪湖の周辺に4箇所の境内を持っており、それぞれ名称は、上社本宮・上社前宮、下社秋宮・下社春宮といいます。御柱祭では、これらの社殿まで各4本ずつ、山から16本の大木を曳き出します。御柱として山から樹齢150年を超すモミの大木を曳き出し、お宮の四隅の柱を建て替えて神木とするのです。1000年以上続く神事で、巨木の祭りとも言われています。

御柱祭では、下社木落し坂が有名。氏子が巨木にまたがって、急斜面を滑り降りるのです。急斜面である木落し坂は、最大傾斜35度、長さは100m。

↓2016年の御柱祭、下社木落としの様子です。

御柱祭の起源は?

諏訪大社の御柱祭が信濃国で行われるようになったのは、桓武天皇(在位781年〜806年)からと言われています。

これより以前の古代史については、諸説あるのですがその中の1つに、諏訪地方では大木を御柱とする祭りがあったようです。

このことは、諏訪や八ヶ岳の縄文遺跡から出土された、規則的に柱や石を並べた遺跡からも明らかです。生活の痕跡が全くないため、トーテムポールとも言われています。

トーテムポールといえば、北アメリカの先住民族のものが有名ですが、日本の遺跡からもトーテムポールに類する柱が数多く出土しています。

縄文時代の遺跡である、青森県にある三内丸山遺跡からは大型掘立柱建物跡が発掘されています。また「日本書紀」の中にも柱に関する記述があるのです。

『日本書紀』にも、トーテムポールと思われる記述があります。
欽明天皇(在位539~571)の妃だった固塩(きたし)姫の遺体が、夫の陵墓に改葬されたとき、朝廷に仕える氏族たちがこぞって陵のまわりに土山を築き、氏ごとに大柱を建てた、というのです。
欽明天皇に仕えた氏族の一つが、のちに諏訪大社下社の大祝となる金刺氏ですから、この行事と御柱は何らかの関係があるかもしれません。伝承によれば、上社本宮は建御名方命の陵墓、前宮はその妃である八坂刀売命の陵墓であるとも言われています。
陵墓の周囲に柱を建てるという点でも、書紀の記述と御柱行事は良く似ているのです。

御柱祭の特徴

神木

長さ17m、直径1m、重さ10トンものあるモミの木を、コロを使わず人力だけで運ぶ姿は圧巻です。更に、巨木の上に人が乗ったまま坂を落ちたり、川の中を渡ったりもするので、迫力満点の行事としても有名です。

御柱祭の日程

上社と下社で日程は異なります。

  • 4月2日~4日 上社山出し
  • 4月8日~10日 下社山出し
  • 5月3日~5日 上社里曳き
  • 5月14日~16日 下社里曳き
  • 5月13日 下社宝殿遷座祭
  • 6月15日 上社宝殿遷座祭

小宮祭

諏訪大社での開催年には、全国の諏訪神社や関連神社である小宮でも、同様の祭(小宮祭)が実施されます。

初島御柱祭へ 観光客が綱打ちに挑戦

諏訪市や諏訪観光協会などでつくる市御柱祭誘客促進協議会は25日、諏訪湖の人工島「初島」の御柱祭に合わせた誘客イベントで、観光客向けの綱打ち体験を、同市の旧東洋バルヴ諏訪工場跡地で開いた。市内のホテルなどに宿泊する観光客や地元住民ら約40人が参加。諏訪湖畔で26日に行う曳行(えいこう)体験に向けて、御柱を曳(ひ)くための綱を作る綱打ちに挑戦した。

上社の御柱

元来、八ヶ岳の御小屋山の大社有林から切り出していましたが、巨木が台風で倒れてしまったため、今年は辰野国有林から8本の巨木を切り出しました。

上社山出し

上社曳行ルート

今年は4月2日〜4日の3日間で、原村の綱置場から8本の御柱の上社山出しが行われました。8本の御柱は、約300mごとに並べられ、氏子を中心に曳かれます。前宮までの行程は12.6km、本宮までは13.8kmです。

上社里曳き

山出しから1ヶ月経つと、今後は里曳きがやってきます。今年は5月3日〜5日の3日間。
御柱屋敷を出た御柱は、華やかに長持ちや騎馬行列、花笠踊りや竜神の舞などを行いながら優雅に進みます。すごく豪華です。
前宮まで約1.4km、本宮まで約2.4kmの道のりとなります。

境内に到着すると、御柱のクライマックス「建御柱」(たておんばしら)が執り行われます。「建御柱」とは、御柱を各境内に建てることです。御柱からメドデコを外し、柱の先端を三角錐に切り落とす「冠落し」を行い、御柱にロープを付けて立ち上げます。

建御柱

メドデコとは、V字形に付ける木の柱のことです。

メドデコ

下社の御柱

下諏訪町の東俣国有林から切り出します。

下社山出し

下社曳行ルート

下社の山出しは、上社の山出しから4日後と決まっています。

春宮までの行程は6.5km、秋宮までは8.1kmです。

急斜面である木落し坂は、最大傾斜35度、長さは100mあり、最大の見せ場です。

下社里曳き

5月14日~16日に行われました。
下社里曳きにはメドデコは付かず、むき出しの巨木です。

丸太

宝殿遷座祭

宝殿遷座祭(ほうでんせんざさい)と読みます。古い宝殿から、新しく建てられた宝殿に、御宝物を移すことを指します。

面白いことに、上社と下社で時期が異なります。

  • 上社は、里曳きが終わった後の日中に行われます。今年は6月15日。
  • 下社は、里曳きの前日の夜に行われます。

他にも上社と下社で異なる点があって、

  • 上社前宮には、宝殿がないので、本宮の遷座祭のみ行われます。
  • 下社は、春宮・秋宮共に宝殿があるので、それぞれ建替えが行われます。宝殿の遷座祭は御霊代のある春宮で行われます。

御柱祭の事故

こんなに激しい祭りなので、死亡事故も起こっています。1968年以降は、74年、86年、92年、2010年と起きているのです。

諏訪大社「御柱祭」で転落死は「宮司の犯罪」? 弁護士「告発」に賛否

長野県・諏訪大社の6年(数えで7年)に1度の行われる奇祭「御柱(おんばしら)祭」で、氏子の男性(41)が高さ約15メートルの大木の最上部から転落死した。この祭りは毎回のように死者が出ているとして、弁護士2人 が北島和孝宮司に対する業務上過失致死容疑での告発状を長野県警諏訪署に2016年5月13日付けで提出したことがわかった。

死亡事故が起きたのは16年5月5日の大木を垂直に立てる「建て御柱」でのこと。報道によれば諏訪大社上社の本宮の境内に建てられた高さ17メートルほどの御柱に登っていた氏子の男性の命綱が外れ、高さ15メートルの木の上部から転落。下に置いてあった重機に激突した。命綱は付けていたものの、本来はありえない不安定な部分に掛けられていたため、途中で外れてしまい転落したのだという。

危険な祭りを続ける理由は?

御柱祭の正式名称が式年造営御柱大祭と言うとおり、昔から諏訪大社の神事として続いています。

諏訪大社は、平安時代より以前から、五穀豊穣、狩猟・風・水・農耕の神として信仰されています。また、江戸時代以降は、宝殿の造営と御柱の曳き建てが行われています。

このような歴史があるので、諏訪の男にとって御柱に命懸けで挑戦することは、最大の名誉なのです。御柱祭に参加する男たちは、諏訪大社に奉仕して死ぬということに対して、覚悟を持ってやっているはずです。

安全ベルト・ヘルメット・命綱を装着すべし

2010年の事故は、命綱を付けてなかったとも言われています。

諏訪大社から総代に対して安全配慮に関する規定が設けられているようですが、氏子に対して周知されていないことも原因の一つです。

規定を守れば危険を食い止めることができるので、今後は、より厳しい安全対策が行われるはずです。

諏訪大社について

最後に諏訪大社について紹介します。

諏訪大社は、全国におよそ25000社ある諏訪神社の総本社で、二社四宮の境内を持っています。

  • 上社 本宮・前宮
  • 下社 秋宮・春宮

設立の時時期は不明ですが、日本最古の神社の1つと呼ばれるほど歴史は古く、軍神として祀られています。

諏訪大社の祭神

建御名方神 (たけみなかたのかみ)、八坂刀売神 (やさかとめのかみ)の二神が、上社・下社で祀られています。

建御名方神

上社本宮祭神。「古事記」の葦原中国平定(国譲り)の段において、大国主命の次男として登場します。大国主命とは、古事記や日本書紀に登場する神話の神であり、出雲大社の祭神です。

以下Wikipediaからの抜粋です。

『古事記』『先代旧事本紀』では、天照大神の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の降臨に先立ち、武甕槌命(たけみかづちのみこと)が大国主命に国譲りするように迫ったとされる。これに対して、大国主命の次男である建御名方命が国譲りに反対し、武甕槌命に相撲を挑んだが負けてしまい、諏訪まで逃れた。そして、以後は諏訪から他の土地へ出ないこと、天津神の命に従うことを誓ったとされる[7]。説話には社を営んだことまでは記されていないが、当社の起源はこの神話にあるといわれている。なお、この説話は『日本書紀』には記載されていない。

以上はあくまでも神話の域を出ないが、これを基に土着の勢力の上に外から入った神氏によって成立したのが当社であると考えられている。諏訪一帯の遺跡分布の密度・出土する土器の豪華さは全国でも群を抜いており、当地が繁栄していた様子がうかがわれる。

八坂刀売神

上社前宮・下社主祭神で、建御名方神の妃です。

諏訪大社に伝わる不思議な神事

諏訪大社の神事は数が多く、奇異なことで有名です。蛙狩神事のように行事を指すものから、御神渡(おみわたり)のように現代科学で説明ができるもの、信憑性の低いものまで存在します。
以下、諏訪大社の七不思議です。

御神渡

諏訪湖独特の冬の自然現象で、湖が全面結氷し、その一部が轟音と共に湖面の氷が割れてせり上がり筋になる現象のこと。

元朝の蛙狩り(上社)

毎年元旦朝に行われる、本宮前の御手洗川の氷を砕いて蛙を捕えて、 神前で小弓を以て射通し矢串のままお供えする一年の豊穣を願う神事のこと。

五穀の筒粥(下社)

毎年1月14日夜から15日にかけ、春宮境内筒粥殿で行われる行事。炊いた小豆粥で1年の吉兆を占う。

高野の耳裂け鹿(上社)

毎年4月15日に行われるお祭り「御頭祭」。昔は鹿の頭75頭をはじめ、様々な供え物をしたと言われています。

葛井の清池

葛井神社の池に、上社で1年使用された道具や供物を大晦日の夜に沈めると、元旦に遠州(静岡県)の「なぎさの池」に浮かび上がると言われている。

御作田の早稲

6月30日に下社秋宮と春宮の間にある御作田社で田植神事を行うと、植えられた稲が1ヵ月後の8月1日に神前に供えることができたと言われている。

宝殿の天滴(上社)

上社宝殿の屋根の穴からは、晴天が続いたとしても1日3滴の水滴が落ちてくると言われています。雨乞いの際、この水滴を青竹に入れて神事を行うと必ず雨が降ったと言われています。

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